vol.82 わだかまりを昇華するまで 〜阿蘇プラザホテル〜

「あの時にこんなことをされた」とか、「こういう仕打ちを受けた」とか、
そういう細かな一つ一つを逐一言ったところで。

「そんなことないよ。」と励まされても、
「あなたに私の何が分かるのだ。」と逆ギレすることがみっともないばかりか、
友人が一人もいなくなること必至である。

そんなオンナにはなりたくないので、
私は今日も平然として過ごす。

腸(はらわた)が煮えくり返るような悔しさもあれば、
金輪際関わりたくないことにも出喰わす。

結局のところ、自分の見る目のなさや経験値が足りないことから起こる悲劇。
そして、そういう経験を経るからこそ、賢くなり、愚行を避けることができるようになる。

と、一端の経験をしている風に語ったところで、
何があったのかは誰も知る由もないし、興味も甚だないものだろうに。

とはいえ、本人にとっては、大層な出来事だったとしても、こんな仕打ちをされた。と言われた側はどうなのだろうかと想像してみるとよい。

あちら様は、何かをしでかしたなんて自覚などなく、むしろ良かれと思ってする行為なのだから、理解できないのは当然のこと。

だから結果として大喧嘩になったり、裁判沙汰になったりするのだから、双方の言い分というものが存在する。

少し前のドラマのセリフに「真実は一つだけじゃないんですよ。それぞれに真実があるのだから。」というような意味合いがあった。

確かにその通りで。
こちら側の事実と、あちら側の事実。
そして、周りから見た事実でさえ食い違うが、どれも真実で正しいのだ。

それぞれが、自分の正義で生きている。
「そういうものなのだ」ということを、頭で理解していても、感情に落とし込んでから、「そういうものなのだと」いう気持ちになれるまでには時間を要するものだし、時間だけでなく、自分が成長して視野を広げ、経験値を積まなければ、生涯にわたって負の感情に蓋をしながら、それを抱えて生きていくことになる。
そして、それは何の得にもならないし、誰も幸せにしない。

加えて言うならば、本人が次のステージに行けないばかりか、誰かへのわだかまりを抱えたまま、誰かを癒そうなんてことも難しく、個人の課題を置き去りにして全てがよくなることなどは望めないのだ。

そんな風に思えるようになった自分の変化に驚くばかりだが。
どうやら、今日も徹底的に拗らせた面倒臭い自分がここにいることを再確認する。

ただ、少なくともそんな自分すら嫌いじゃないところが私らしいといえばそれまでだが。

今年、祖母が他界した。
94歳の大往生であった。

私は内孫の女の子として可愛がってもらっていたように思う。
そして、切れ者の祖母に何を言われても気にせずにいたし、祖母の話はいつも興味深かった。
幼い頃は、同世代の子どもたちに馴染めずにいたが、大人の会話は飽きもせず、難しい内容だったとしてもずっと聞いていられた。

祖母の死は、思いの外、私に衝撃を与えていたことに後から気づく。
「ばあちゃんは、孫に嫌われたって正しいことはちゃんと言うんだ。」と自分で言っていた。
そんな祖母が好きだったように思う。

死んでしまったら、あの世には何も持っていけないのだと。

空き家になった祖父母の家の片付けをしながら、その事実と向き合う。
丁寧に仕舞われた洋服や、タオル、頂き物の箱には日付と何が入っているのかが書かれていた。
聡明な祖母の手仕事(手先が器用な人で、木目込み人形の師範、編み物、草月流など)や、メモ書きに想いを馳せる。
台所、押し入れ、納戸、寝室、衣装部屋など、引き出しを開けては、処分を繰り返していくうちに、私の中で変化をもたらしていたのは後になってから分かったことだ。

そして、学生時代の友人と10年振りに飲む機会があった。
それぞれが変わらずにいることが大半で、学生時代の記憶を辿りながら話す会話に。
過去のそこに留まることに楽しめない自分と、彼らとの間には見えない何かが横たわっていたような気がしてならなかった。
それから、酒の席であることの勢いで、来ていない仲間に電話をする。
すると、国指定の難病で入院をしていて、先だって退院したばかりだという。

翌日に手紙を書きながら、私は涙が止まらなかった。
多分、このあたりで私の中で何かが変わったのだと思う。

それから数日後。
以前に絶縁をした人のことに触れて、
「あれは、もういいかな。」と言葉にした時のことだった。

すかさず、
「もう、禊が済んだからいいんじゃないの?」
と、涼しい顔で言われた。

そう言われたことにも驚いたが、
すんなりとその言葉を受け入れている自分が意外だった。

その一連の出来事を唯一知っているその知人は、
私の業の強さや深さを知った上で、そのことを言ったのだろうか。

そのことの判断ができるようになれたことで、
私は、自分で自分を許せなかった部分がようやく理解できた。

自分の未熟さを認めたくなかっただけで、
ただの意固地な愚か者が振り上げた手を下ろすまでに、
どれほどの時間がかかっただろうと。

そうなのだ。
一番醜いのは私の心だったのだと。
そうして、誰かに心を乱されたり、揺すぶられたりすることなく。
我が目的を達成するためには、取るに足らない出来事なのだと。

ようやく思えるようになったのは。
いつ尽きるか分からぬ命の前では、大したことがないのだと。
そういうことを体感したからだと理解している。

<阿蘇のリコ旅*補足メモ>

訪れた阿蘇の自然に包まれて。
私はスプーン曲げを体験。
超常現象と言われたけれど、
あっさりと曲げられたことに常識の上書きが必要だと感じたのは、
今回の記事に影響していることを加えて。

<訪問先>
阿蘇プラザホテル
https://www.asoplaza.co.jp

Shop&Café 然
http://zen-cafe.jp

草千里ケ浜
https://kumamoto.guide/spots/detail/210

道の駅 あそ望の郷 くぎの
http://www.qsr.mlit.go.jp/n-michi/michi_no_eki/kobetu/asobounosato/asobounosato.html

俵山交流館 萌の里
https://moenosato.net

南阿蘇オーガニックカフェ ASOBIO
https://kumamoto.guide/yubijin/spots/detail/19384

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