vol.94 万が一の時など予測しない方がいい〜函館国際ホテル〜

そもそも私は人を疑う癖がある。
それは刷り込まれたものでもあるし、
生まれ持った性質でもある。

小学校の遠足で、休憩時間に言われた先生の一言が脳裏に刻まれた。
当時(40年程遡る・・と文字にするとすごく昔のように感じるが、もうそれだけ生きているのだと思うと感慨深い)信州(長野市)の遠足といえば、(今はどうなのか分からないけれど)小学校から目的地まで歩く。

1年生でも何キロも歩いた。そういうものだった。
高学年にもなると、山登り(山道・獣道は必須)をして30キロは往復で歩いた。
大学で上京した時に、友人から「遠足はバスで行く。」という事実を知った時には驚いたものだ。(そんなの遠足じゃなーい!みたいな)

さておき。
3組編成の小学校で、3年生くらいの時の遠足。
(ちなみに中学校は8組まであるというマンモス校に通っていた。当時はただ子どもが多かっただけか。団塊Jr世代.後期)
休憩地点で休んでいた時に、付き添いのS先生(男性40代くらい)が私に尋ねた。

S先生:「休憩時間はいつまで?」
私:「もう終わると思います。」

S先生:「誰が言ったの?」
私:「K先生がさっき言ってたよ。」(小学生だからこんな感じかな)

S先生:「えー、そんなことないと思うよ。
先生の言うことだって、疑わなくちゃダメだよ。先生だからって必ずしも正しいわけじゃないんだから。」

この返しを受けて、私は混乱した。

(え、じゃあ、一体私たちは誰を信じればいいの?)と。
内気だった私は、何も言い返せないままだった。

このS先生というのは、3つ上の兄のクラスの担任をしていたこともあり、私のことも面識があったはず。
そんな親しみを抱いていた先生に言われたことで、私の価値観に変化をもたらしたのだ。

それは、「どんな人でも間違うことがある。」ということ。
人が言ったことを鵜呑みにしない。
「尊敬している人でさえ疑う」という概念がここから始まった。

なぜならば、その時のK先生の言っていたことは、
S先生の言う通りで間違っていたのだから。

それとも、私が聞き間違えたのだろうか。
(そんなことはない)と思いたかった。

そして、私は人を疑うと同時に、自分のことも疑うようになったのだと、この記憶を振り返りながら気づいてしまった。

そう。私は、自分をも疑う。
むしろ一定の部分では、信じてない。

自分に対して絶対的な信頼を置くと同時に、
不確実な記憶に対しては疑っているダブルバインド。
自分に確認をするし、何なら当然のように人を頼る。

一方で、
どんなに自信満々な人が、絶対に大丈夫。と言っても疑う。
だから、自分でいいか悪いかを判断する。

自分がその人を信じていい。
と思ったら、その人が言っていることが正しい。

判断基準は、すべて自分の中にあり、
例えその人が間違っていることを言っていても、
自分が決めたことだから、その人のせいにしない。
というようなジャッジをするようになった。

情報過多な現代に於いては、非常に重要なことで、
あの人の言うことだから大丈夫。
という判断基準は一体どこにあるのだろうか。

他人に判断を委ねてしまっていいのだろうか。
自分軸から他人軸で生きることは楽かもしれないが、
それでは自分の人生の濃度が薄まる。

大人になればなるほど、忖度が生じたり、
立場やタイミングで、ニュアンスが違ってくる。

それを受け取る自分が、
どう感じて、どう判断して、
どう行動にするか。という選択をする。
また自分が未熟なことは十分承知なので、
知らないだけでその先のことは経験や体験をしないと分からないのだ。

知識を得るだけでは未完成で、
その先に行動に移すことで実りある人生にするかどうか。

もしかしたら、
結婚相手が悪いかもしれないし、
付き合った相手が悪いかもしれない。

痛い目に遭っても、それをずっと引きずるのではなくて
よい勉強だったと、同じことを繰り返さないようにすることで、
人生は拓けていく。

自分がやってみたい。行ってみたいと願ったのであれば、
そこに向かって全力で取り組めばよい。

ただ、それだけのことなのだ。
やる自分も、やらなかった自分も、全ては自分の心が知っている。
本当に内なる声が見つからない時は、
自問したり相談したりして、
塞いでいる蓋を外したり、ずらしたり、壊したりすればいい。

ただ、自分で決めたことは、自分で責任を持つ。
それだけのことだった。

そんなことを、振り返りながら。
今回の函館行きは、
娘の進路について三者面談を行うためのものだった。

わざわざ東京から現地に行かなくても、
zoomで十分じゃないか。と思ったけれど。

そう、ただ私が行きたいだけだった。

進路選択を一緒に考えたい母。
大学受験の現状を知りたいだけだったり。
わざわざ函館にまでくる母親をやってみたかったり。
ただ、飛行機に乗って移動したかっただけだったり。

理由をつけて、遠出がしたいだけ。
それと、函館が好きなのもある。

この空気の中で、
娘が3年間を過ごす選択をしたことは本当に良かった。

ちょうど、3年前に下見に訪れて。
その時からずっと函館は好きな場所になっている。

そうして、
カトリック推薦の結果が出る前に。
万が一のことに備えて、指定校推薦を考えておきましょう。という。

万が一のこと。
そうねぇ。そんなことないと思うけれど。
そうなった時の対策を知っておきたいということで、
先生の憂いに付き合いながら、神妙な顔をしてやりとりをする。

ふむふむ。
そんな仕組みになっているのねと。
息子の大学受験を見据えて、話を聞いていた。

結局のところ、自分が経験していなかったことを
子どもを通じて、知見を増やしている
(ただの好奇心とも言えるが)のだけれど。

こうして、我が子の進路選択について
大いなる理解をしているようでいて、結局は本人次第なんで。と。
応援はするけれど、母親や周りが進路を決めることではないので。

ふむふむと。
未来の選択をしている時間に同席をして。
楽しませてもらっている。

「万が一」があるかも。
そのことを考えるのが嫌だった。
その第一志望のところに行けないみたいで。
ダメだった時のことを考えるなんて、本当に嫌だった。

過去の記憶を遡りながら。
あぁ、子育ては自分の過去と向き合う工程でもあるのだと。
人生の後悔をしないように。
自分が感じた嫌だったことを、我が子にはしないように。

それはその子にとっては必要なことかもしれないし、
そうじゃないかもしれない。

人には個性があって、性格や性質があって、別々の価値観がある。
だからこそ、対話をしながら擦り合わせて確認をするのだ。

良かったね。と。
笑っていられるように。

苦しい時も。
苦しいねと寄り添っていたい。

そんな風に思いながら。
子育ての時間を愉しむ。

その時々を大切にして。
人生を謳歌していきたいだけなのだ。

<訪問先>
函館国際ホテル
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