vol.98 息子の高校受験を終えての脱力感に包まれて 〜ヒルトン横浜〜

なんとも言えない虚脱感を覚え、息子の高校受験を終えた。
母親の立場での奮闘記。というか、どのように本番に向けて調整させればいいのかをヤキモキしながら見守り、応援し、支えた日々だった。

もちろん、本人は第一志望に行きたかった気持ちがわかるけれど、
その態度では、難しいよね。ということが日々の中から見てとれるだけに、本気度がいまいち上がり切らなかったと言える。

四六時中、受験のことを考えサポートしていたかというと、そうではないけれど。
高校受験生がいる事実は変わらないので、無意識下でいつも意識していたことだろう。
そうして日々、気持ちに折り合いをつけながら、最後の合格発表の日を迎えた。

今年度(令和5年)、中学3年生に進学した時の保護者会で、東京都の高校入試事情を把握することから始まった。
(3歳上の子の時は推薦で合格。その高校は内申点の基準がなく、それはそれで不安だったけれど。)
高校進学の次に迎える大学受験の大変さ(具体的には、受験回数に伴う受験料の嵩み方など。もちろん、本人の精神的な闘い、勉強に対する向き合い方を含め)を周りのママ友から情報を仕入れたりしていると、長男の性格を考えながらの進路を選んでいく。

なんというか、自分の裁量でどうにかなるという部分でないからこそ、自分の感情とも向き合う日々だった。
我が子の進路に関して、本人が理解しているよりも選択肢や可能性を残しておきたい親(わたしのこと)にとっては、やれることをしておきたいという、自分(親としてのわたし)が後悔したくない。という思いや衝動に駆られていたことは否定しない。

親の経験値をもっと活用して欲しいし、頼って欲しいと思いながらも、思春期の難しい年齢に語り、届かせる方法を思いあぐねながら。
また「こうであって欲しい。」という自己満足を息子に押し付けにならないようにしながらも、「自分の将来には選択肢がまだ無限にある。」という可能性と、この中学時代の勉強の仕方で、その後の人生の選択肢が変わっていく。ということも、知って欲しいという、まぁ親のエゴなのは承知の上で、期待してしまうのだから。

受験した高校は私立の3校。
都立高校の入試は5教科だが、私立は3教科で受験できるから。という選択だったけれど、行きたいと思う都立高校がない。と断言されたので早い段階から私立に絞る。

一校目のA校は、内申点を満たした上で出願できる「併願優遇」。
この高校は、学校同士で話し合いをした上で出願するので、ほぼ内定した状態での出願。
(表現に語弊があるかもですが、参考まで。)

残りの二校は、チャレンジ受験ということで、一般入試で臨む。
本命のB学校は偏差値が比較的高いので、B校を目指すことで、推薦では出願できなかったけれど、頑張れば合格できそうなC校を射程内に据えて。
とは言えC校も近年は人気が上昇していて、推薦入試の内申点の基準が上がっていたり、一般入試の合格最低点が高めだったりと、いずれにせよチャレンジだった。

そんな中で、最終的に進路が決まったのは去年の10月。
三者面談を重ね、本人の希望を聞きながら第一志望がなぜそこなのかはイマイチ不明なまま日々が過ぎていった。
本人は、偏差値が高い高校に行きたいということが漠然とあったのは知っていたが、日頃のゲーム三昧、昼夜逆転などの素行を見ていると、自分の欲求には非常に素直なことは伺えるが、勉強に対しての熱心さは窺い知れず。

特に、資格試験を受験していても「受ければ受かる」というような態度が目に余った。
こちらとすれば、資格試験にしても入試にしても、合格するために準備をしてから臨む。
ということを経験して欲しいのだが。

とりあえず受験申し込みをするということも、「お金を無駄にしているし、甘やかしすぎではないか。」と葛藤しながらも、受けないことには、受からない。という思いもあり、チャレンジさせていく。
(息子の受ければ受かる精神に繋がってそうで、我ながら思考が似ていることを再認識するが)

そうして、B校を第一志望にしながらも、生活態度の改善は見られずに変わらずゲーム中心の生活をしている。
秋を迎えることには、勉強をしないでゲームばかりするくらいなら、と、長野県長野市のえびす講の花火大会に一緒に行ったのは、以前のリコ旅紀行にある通り。

冬になり、最終的にA校に併願優遇が出せる内申点を獲得した後も、ゲームをする日々。
むしろA校もいい学校だったので、併願優遇を出しているので高校進学はできるだろうという気持ちでいたが、やはりこの時期の努力は将来にも影響することを考え、頑張って欲しいと願いは変わらず。

チャレンジすること、自分の目標に対してコミットすること。
そう自覚して欲しい。と、折を見て本人と話をしながらも、時は過ぎていく。

年が明けて、入試本番まで3週間に迫った時に。
「今日から、ゲームやめて勉強する。」と机の上にあったゲーム機とモニターが撤去されていた。
いよいよやる気スイッチが入ったのね。と、ようやく安堵したのも束の間。
担任の先生からも態度が変わったと教えられ、ようやく受験に対しての現実味を帯びてきたのだと思った矢先に。

「オレ、受験勉強したいから、明日から本番までの10日間は学校休む。」と言い出した。
ええっと。そういう問題じゃないのよね。と。

あのね。これまでどれくらい勉強できる時間あったと思ってるの?
はい、じゃあ、勉強に集中するために学校休もうか。というわけには行きませんね。と。

「え?なんでだめなの?義務教育は休んだっていいじゃないの?」
そうね。そうかもしれないけど、そういう自己都合だけの都合のいい状態がまかり通るような人間に育って欲しくないわ。と。
出席日数で推薦を出せるか出せないかの基準があるということは、学校に行く。ということを重視している学校が多いということだよね。
その学校を休む理由が、受験勉強したいから。ということが、その先で社会人になった時に通用するような人間に育って欲しくない。

そんなことで偏差値の高い学校に合格したところで、母親としては全然嬉しくもないし、応援する気にもなれない。
何より、そういう人間として年齢を重ねて欲しくないし、これが当たり前だというマインドを持ちながら社会に出て欲しくない。と。

そういう価値観でわたしもパパも生きてないから。
もし、本当に第一志望のA高校に受かりたくて、今までの生活態度を悔い改めるというのなら、まずはここで交渉して、1日にどれだけ勉強して本気を出すから休ませてください。という覚悟はあるの? と。

そう話しながら。
本人がやる気を出したからと言って、受容することだけが、人を成長させるのではない。

「オレだって受かりたい。」と言うけれど、ゲーム撤去した翌日には、ゲームとモニターが戻ってたよね。
それでいて、学校に行かないでゲームをして、授業時間を自宅で勉強するなんていう価値観は我が家には持ち合わせておりません。

教育には、家庭教育、学校教育、社会教育がある。
わたしは核となる家庭教育をする責任があるのだ。

この2月の追い込み時期で、この状態なのだから一体どうしたものか。
甘さが目立つ。とても。非常に。

いつか、男の子は化けるとか、本領発揮するとか、集中力があるから追い上げがあるとか。そんな情報に期待を持ちながらも、やっていることが時間の無駄遣いなのだ。

子は親の鏡。
全ての因果は親にあるのだと言われたら、そうだろうけれど。
だからこそ、今できる最大限のことをしたいのだ。という思いだった。

結果的には、学校を休むことなく登校したけれど。
自習ばかりで意味がないとか、登校する時間がもったいないとか。
本人の言い分は理解を示しながらも、学校に行くように促した。

そうして2月10日は、第一志望のB校の1回目の受験。
翌日の2月11日には、併願優遇のA校を受験し、その日のうちに合格通知。
翌々日の2月12日に、第二志望のC校を受験。

2月12日に、第一志望のB校の不合格を受け、再チャレンジとして第2回の一般入試に申し込んだ。
この不合格を経験することで本気にならないと受からないと身をもって体験して欲しいと思いながら。

2月13日の午後に、一般受験(第二志望)のC校の合否発表があった。
なんと、一般入試で合格したことに驚き、むしろC校のことはノーマークなくらい過去問も一周しか解いてないのに、よく受かった!!と。
あぁ、これは本命のB校の過去問を解くことでC校に合格したのだと思う。

それでも、この合格通知を見た時に「よかったね!おめでとう。頑張ったね。」と涙が込み上げてきたのは、高校進学に対して、わたしがとても不安だったのだと振り返る。
せめて、チャレンジしただけの結果をわかる形で手にして欲しいと思っていたのだろう。

C校の合格を得て、1週間後に本命のB校の2回目の入試を控えているのにも関わらず。
気を許したのか、夜中にまたゲームをしている。

とうとうわたしも堪忍袋の緒が切れた。

私:「本気で受かろうとしないなら、2回目の試験になんて申し込まなければよかったじゃない!C校でいいなら、そうしなさいよ。」

息子:「いや、オレ受かるし。」
私:「その根拠はどこにあるの?」
息子:「ないけど受かる。」

そう言いながらゲームをしている。
そんなことで受かるなら苦労しないわ。と。

私:「受ければね、受かるわけじゃないの。
倍率も数字上だけじゃなくて、受ける生徒のレベルも上がっているし、2回目の方が合格数少ないのよ。」

息子:「C校は2回目で受かったじゃん。」

・・・わたしは諦めて眠りについた。
本当にこの1年は眠りが浅く、ストレスが無意識に掛かっていたと思うけれど。

B校は、わたしも憧れた学校なので、合格して欲しいけれど、あの勉強量では受からないだろうと思ったり・・と複雑な気持ちのまま、2回目の一般入試日を迎えた。

2回目も同じように午前中に国語・数学・英語の試験。
(お弁当は1回目の時は半分以上残してたけど、2回目は完食)
午後に面接。

本人は受かっているつもりで帰宅したけれど。
まずは、予定されていた全ての試験を無事に受けられたことも良かったのだと思うようにして。
二日後に発表された合否サイトを見ると。
緊張が走ったけれど、
2度目の不合格の文字が記載されていた。

本人もショックだっただろうけれど、わたしもショックだった。
息子は自室に戻り、わたしはしばらくそのまま動けなかった。
終わったんだー。と。
C校に行くことが決まり、早々に手続きを始めないと。
入学金の支払いは、併願校の結果が出た翌日までの猶予だった。

数時間後に息子が部屋から出てきた時。
「ショックだったね。」と声をかけても「ショックっていうんじゃなくて、ちょっと記憶ないよね。」と
あのね、ショックっていうのは、悲しいだけじゃないのよ。
一言では言い表せない衝撃だから、言葉を失ったりするの。

そう言っても聞く耳持たず。

まぁ、そういう頑固なところよね。と。
高校に入ったら、どう変化するのかを期待しながら。

C校の入学手続きを早々に済ませて。
わたしも親として気持ちを切り替えて。
夫婦で話をし、彼の進路について語った。

高校受験が終わったら、その後は学校行く意味ないよね。と言い出すので。
この子にはどんな体験をさせられるだろうかと。
そんな風に思いながら。

まずは親として、人生を大切に、丁寧に、生きていく姿を見せていこうと。
そう心に決めて。

こうして息子の進路が無事に落ち着いたことに感謝して。
塾の先生に支えられ、担任の先生に励まされ。
この日を迎えられたことを、記録しておく。

今回の滞在は、入試前の息抜きで出向いた。
息子がゲームをする姿を見たくなかったこと。
家にいることでストレスが蓄積されて、余計なひと言を言いそうだったので。
新しくできたヒルトン横浜でリフレッシュしてきた。

子育てに正解などはないけれど。
だからこそ、試行錯誤をしながら、その時のベストを考えていくのだと思う。
結果などすぐには出ない。
わたし自身の人生がまだまだ続くように。
我が子の人生は、まだ始まったばかりだ。

この選択をよいものにするために、これから先の人生を生きていく力を養っていくことしかできないのだから。

親の立場になって初めて、自分の親の気持ちが少し理解できてきているような気がする。
どういう風に育てたかったのか、関わってきてくれたのか。
それを振り返りながら、我が家の親子関係を築いていくのだと。
我が子二人の節目の季節を迎え。
親としての役割を終えていく日が近くなっていくことを感じて。

成人をして、自立できるように。
そう願いながら、総仕上げの時期に入ってきているのだ。

ヒルトン横浜
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