vol.46 信州の懐かしさに包まれて〜扉温泉 明神館編〜

実家の母が入院したという報せを受けて。
お正月以来の帰省となった長月の週末。

母は、腰椎圧迫骨折で1ヶ月以上の入院を余儀なくされているという。
二世帯住宅に住む私の祖母(母にとっては姑)が廊下で倒れている姿を発見し、全力で祖母を起こしたところで腰を痛めたという話だった。

91歳の祖母は、基本的には一人暮らし。
祖父が4年前に他界。
矍鑠(かくしゃく)としてはいるものの、足腰は弱り、一度転んだら自力では起き上がれないくらいの筋力しかない。また、多少の認知も無きにしも非ず。
そんなことを両親が話していたし、私も目の当たりにしている。
69歳の母が、91歳の祖母の介護をする。
世間でいう老老介護そのものだった。
母は、毎日1時間程の様子を見に行く日々に。

つい、身内はいつまでも元気だと思ってしまうけれど。
母の腰を痛めての入院は2度目。
昨年も、皐月の時期に1ヶ月入院したばかりだった。

元気ならば会わずとも平気だけれど。
母の入院と祖母の落ち込み具合が気になり。
今回は、信州に照準を合わせて都合を付けた。

去年と同じ市民病院で。
弟が代を継いだ会社がほど近くにある柳原地区で。
病室にいる母を訪ねた。
美意識の高い母は、自分のすっぴん姿に耐えられないらしく。
マスクをして顔を隠していた。
69歳とは思えない肌艶に。
その若々しさと、病院との似つかわしくない雰囲気は隠しきれずにいた。

そうして、いつも私にアドバイスする。
化粧品はこれがいい。美容鍼はいい。どれがいい・・・など。
ニベア愛用者の私にとっては、余計なお世話なのだけれど。
そういう母に育てられ、上品さやエレガントさと対局に行くように。
反発していた時期を思い出す。

40も半ばに差し掛かるようになると。いよいよ、年齢相応の気高さは嗜みとして身につけておくのも悪くないな、と。ようやく母寄りになってきたなという自覚と共に。

1時間程の滞在。
お互いにとっての適度な距離感で、これも親孝行だと思っている。

ゴルフの予定をキャンセルし、私とのランチに付き合ってくれた父。
お見舞いの後に病院に迎えに来てもらい。
そのまま、地元で評判だというお蕎麦を一緒に食べて。

父とは、子どもの頃から相性が良くて。
家庭教育に関しての筋の通し方は見事だった。
極端な言葉で人々を魅了したり、嫌われたり。

そういう父の姿に。
私の異性に対する基準は、そこに出来たのだろうか。
そんなことを思い出しながら。

何気ない会話から、衝撃的な事実を告げられる。
私:「ねぇ、お父さん。癌の再発が見つかったらしいけど、ステージで言うといくつなの?」
父:「今、ステージ4だ。」
私:「え。それって末期患者なんじゃないの?」

父:「まぁ、そういうことになるが、再々発の癌だから、今の癌が小さいとしてもそういうことになるらしい。今あるのは、左の肺に二箇所。最初の大腸ガンが、右の肺に転移して、今年の1月に半分切除したばかりだからな。予断は許さないのは事実だ。」

さすがの私も、絶句した。
祖母よりも先に逝ってしまうのではないか。
まだまだ元気でいてくれていると思っていたけれど。
そんな不安がよぎりながらも。

娘の立場から父の生き様を見届けることしか出来ない。
「調子が良ければこのまま今年の正月は、アメリカ経由でメキシコに3ヶ月滞在する予定だから、よろしく。」

と、いつもの調子で言う。
父が引退してから得た親友は、アメリカ在住で、10歳程年上の韓国人の元教授。
破天荒な父をさらに上回った、超越したツワモノ。

「いつもどうやって会話してるの?」
「向こうがな、気を使って日本語にして送ってくるんだ。」
「基本は英語でしょ?」
「見ろ。LINEだってこんなだ。」
「キャンピングカー借りて、シニアの冒険に行ってくるゼ。」
そんな変わらぬ父の姿に安心し。
メキシコなら私も行きたいと便乗を図る。

時代は、シニアにこそ優しいのかも知れない。
英語が喋れなくても。

Googleの翻訳機能があるだろ。
時差も場所も関係ねぇんだ。いつでも連絡が取れるじゃねーか。
いっくら頭良くてもな、こういうツールを使えないヤツは、やっぱり使えないヤツなんだよ。

はいはい。わかってますよ。
ちゃんと。

父が英語を喋れたら、どんなに世界は広がっただろうか。と思うけれど。
きっと、この人はこれでよかったのだろう。
死ぬまで英語はマスターする気はないらしい。
英語というツールを、他のツールで代用する姿に。

自分の子供は3人とも留学させて。
私たちに、国際感覚を身につけさせたかったというセリフは一度も聴かなかったけれど。
「世の中は広く渡れよ。」とか「金が全てじゃないが、金がないと好きなことも出来ないからな」とか。そんなことを言いながら。
洗脳にも似た言葉の数々が、私の中にも受け継がれている。

お見舞いから、東京の日常に戻って。
朝ごはんでの会話。

YouTubeが大好きな小5の息子に。
「もうさ、アカウント作ってあげるからユーチューバーになればいいじゃん。」と言う私に。
「うわ。ママ。そういうのね、逆だよ。ユーチューバーなんて稼げないんだからって親が止めるのに。逆じゃん。」

「当たり前でしょ。稼げないと思ってるから稼げないのよ。ママの周りにはちゃんとやり方を知っていてプロデュースしている人だっているんだから、とりあえず、やる側になってみればいいじゃない。」

そんな会話をして。
やるならちゃんとやる。
ハマるなら極める。

それくらいやってみなさい。

そんなことを言いながら。
人と同じでいいの? 
そう焚きつけてみたりして。
息子は何を感じるのかの結果は、今はわからない。

家庭教育・学校教育・社会教育と。
それぞれが別々に必要なのだから。
学校教育は学校に委ねて。
家庭には各家庭での教育があり。
社会での厳しさを目の当たりにする時に。
軸となる家庭教育を。愛情を注ぎながら。

信州の自然は、私を優しく迎えてくれた。
思い出の残る地元の姿に。
松本の地を訪れて。
有名な扉温泉へ宿泊することになった。

いわゆる旅館。と言っても漂う雰囲気は厳かさと品格を放ち。
松本の空気感が漂う。

誰も私のことを知らないけれど。
旅の非日常を味わうというよりも。
どことなく落ち着くような、それでいて他人行儀の自分に。
善光寺のお膝元である長野市出身の私にとって。
松本城のある城下町の雰囲気の違いを認めながらも。
やっぱり信州が好きだと再確認して。

旅から戻った数日後。
娘が突然言い出した。
「ねぇ、ママ。今度の連休に長野に行ってきていい?」
「え。いいけど。一人で行くつもり?」
「そうだけど。大丈夫だよ。爺(じじ)いるんでしょ?」
「婆(ばば)は入院かもよ。爺と二人でいいの?」
「いいよ。大丈夫。」

そう言って、そのまま電話をする娘。
「あ、じじー?今度長野に行っていい?連休なのー。」
「いいぞ。来い来い。楽しみにしてるぞ。」

そんな会話をして。
新宿で暮らす日々に。
信州に行きたいという思いは強くなるばかりなのだろうか。
都会で暮らすことから。
自然の中で生活したいという反動か。

地方で育った私は都会の生活を選択し。
そのまま新宿を愛してやまない。

地元愛も失うことなく。
全てに愛情を注ぐようになった。

自分でも大きな変化に。
成長するタイミングというのは、人それぞれ。
魂の違い。エネルギーの差。
そのことを知り、目標を定めて。
我が子の成長を見守り、家族の変化を受け止める。

訪問先
扉温泉 明神館 
http://www.tobira-group.com/myojinkan/

松本城
https://www.matsumoto-castle.jp

そば処 もとき
http://www001.upp.so-net.ne.jp/soba-motoki/home.html

旧開智小学校
http://matsu-haku.com/kaichi/

長野市民病院
https://www.hospital.nagano.nagano.jp

ダンクセキ株式会社
http://dank.ne.jp

あぐりながぬま
https://www.ja-nagano.iijan.or.jp/office/2016/08/post-49.php

パサール三芳
https://www.driveplaza.com/sapa/1800/1800011/1/

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