そもそも私は、自分に何もないことを知っている。
ナニモナイことから生まれるナニカを持っているだけだった。
内面に秘める感動や衝動。
表面には見えない自己主張。
自己の崩壊というのは、きっといとも簡単なことなのだ。
かろうじてそれを阻止しながら、自分を守るものを見出すために。
私が成長するにつれ、母が自分のことを語るようになった。
「どんな状況であったとしても、心は錦で居られるようにしたかったのよ。」
自分を見失わない術は、こういう言葉を聞きながら育ったからなのだろうか。
空想や想像の世界を好みながらも、現実の世界で生きる身近な人からの言葉に耳を傾ける。
吹き抜ける空間。
シンボリックな暖炉。
パッチワークされた藍・紅・碧のソファー。
高く塗られた土壁、積まれた大きな薪を仰ぎながら。
自分のキャパシティーはあっという間に溢れてしまう。
小さく積み重なるストレスと。
新しいワクワクでも平常心で居られなくなることと。
加えて、体調を崩してしまうことになれば。
その脆さたるや、一瞬のことだった。
初めて自分のそれに気付いたのは、アメリカ留学時代。
18歳だった私は、当時の恋人の前でボロボロと泣いた。
日本語と英語をごちゃ混ぜにしながら、自分の気持ちを喋っていた。
自分でもワケが分からず。
ただ、そっと抱きしめて欲しかったのだと思う。
自分の張りつめた気持ちの糸が切れてしまったのは、
一人では抱えきれない何かを溜め込んでしまったからなのだと、そのずっと後に理解した。
それからというもの。
誰かの胸で泣けない時は、映画や小説の世界へ潜り込んだ。
はたまた、今のように文章に書き落とし、
自己と切り離してその事象を眺めることが習慣となった。
それが旅になり、食事になり、カタチを変えて。
自己と向き合いながら、息苦しさと生きる歓びを行き来するのだった。
ことさらに、旅は私を癒してくれる。
誰も知らない場所で、一期一会を愉しむことの贅を。
女性は強くなったのではなく。
弱さを見せられる場所が、無くなってしまっただけなのかも知れない。
少女だった頃のように。
泣いたり笑ったりする自由をいつの間にか失い。
母親になり、誰かを守ることに誇りと責任を持ち。
妻としての支えを全うしたいという自負を抱く。
強くなければ、
ぺしゃんこになってしまう自分を知っているからこそ。
それでも生きて行くのであれば。
たくましく気丈でいなければならいのだから。
また面倒なことに、
気高く在りたいと望んでしまう自分がそこに存在するのだった。
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