vol.79 祖母の他界がした時の話〜ウェスティンホテル横浜〜

父方の祖母が、94歳で呼ばれるように息を引き取ったのは、
この夏のお盆を過ぎてすぐのことだった。

施設に入って3年程過ぎた祖母の容態が急変したと
報せが入ったのは、東京に戻った翌日。

髄炎だというが、本当のところは分からない。

死因を突き詰めたところで、
誰かが幸せになるのだったらそうしただろうけれど。

もうほとんどの人が罹ったのではないかと思われる
コロナ感染への諦めが漂う中で、祖母は息を引き取った。

7年前に祖父が92歳で先立ち、その後は一人暮らし。
施設で生活するようになって3年程だったように思う。

東京に住む私の家族と、兄の一家が日程をずらしながらの帰省をしている最中で。

施設から祖母が電話してきた時に話したのが、最期となった。

何かの報せのように、祖母はいつも通り、同じことを繰り返しながらも、しっかりとした口調で、どこかもの寂しげな空気を孕みながら、私たちのことを心配していた。

うんうん。大丈夫よ。と返事をしながら。
今でもその声が思い出せる。

94歳だったけれど。
どことなく、私たちは各々で
おばあちゃんはまだ元気に生きると思い込んでいたと思う。

告別式の当日は、夏の雨で。
15時頃に、新幹線で向かった長野駅に到着した時点で、
既に雨が降っていた。

それからずっと、
しとしとと雨は降り続いていた。

死化粧をしてもらい、
しばらく床の間で過ごす。

18時になり、
通夜のお経が始まった。

30分の間、雨の音がすごくて。
この世とあの世の境目がなくなっていたような気がした。

あぁ、そういえば おばあちゃんも
雨女だったんだろうな。

同じ辰年で。
私は、48歳の時の孫だったのだと思いを馳せる。

そう思うと。
祖母は、今の私の年齢で、
既に孫がいたのだ。

苦労した祖母の半生や、
その後の幸せそうに、世界中を旅していた
写真を思い出す。

おじいちゃんと二人で行っていた旅の写真。
仲のいい様子が自然と思い出されて。

お経を上げてる時も。
悲しいとか、そういう感じの涙ではなく。

多分、ありがとう。という感謝の気持ちだったのだと思う。

お経を終えて。
親族で食事をしながら。

父が、
「お経の時だけ、すごい雨だったな。」と一言。
やっぱり同じことを感じていたのだろうか。

そんな風に思いながらも、
詳しくは言葉にできなかった。

実家に到着して、焼香をした時に。
涙がボロボロと落ちた。

仏様を目の前にした時に。
何の抵抗もなく、溢れるように。

ただそこに眠っているようで。
目を開けて、おかえりと言ってくれそうで。

死化粧をしてもらう時に。
そっと足に触れた。
冷たくなっていた両足を。

子どもの頃に、私の足をさすってくれたように。
私もおばあちゃんの足を触って。

この時に、額に触れたいと思ったけれど。
なぜか、躊躇っていた。

高校生の姪が、
「ねぇ、おばあちゃんの額に触っていい?」と聞くので。
「いいよ。」と答えながら、私も一緒に側に行った。

姪と一緒に祖母の額に手を当てて。
やっぱり冷たいね。と言いながら。

このくらい、仏様とは近い私たちは。
多分、こうして触れることが当たり前なのだろう。

そんなことを思いながら。

祖母を見送ったのだった。

いつぞや知れぬ命の限りを。
私たちは今、何事もないように生きている。

受け継がれていく家族の広がりを。
形を変えていきながらも。
繋いでくれている今の人生を。

自分に恥じぬよう生きていくしかないのだと。
その節目に立ち会いながら。

今いる私たちの生を全うすべく。
生きることに貪欲でありたい。

そんな出来事があった後に。
私は、1年前にオープンしたとうウェスティンホテル横浜にいた。

初めて訪れるホテルで。
気持ちを整理したかったのだと思う。

祖母の年齢から考えると。
まさに今、私は人生の折り返し。
祖母は、死ぬ間際に何を思ったのだろうか。

その時の私は何を思うのだろうか。

いい人生だったと。
言いたいだけに。
今を悔いなく生きたいのだと。
ただそれだけのことが、難しいことも。
同時に理解しながら。

生きる苦行と喜びを。
同時に味わいながら。

今日もこうして、今を生きている。

<訪問先>
ウェスティンホテル横浜

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